DAAS関連の取材などの動画集です。じっくりご覧ください。

インクルーシブな建築  – 新潟市イン芸術文化会館と公共建築の過去~未来-

DAASでは資料を次世代に残すという観点からオーラルヒストリーを映像化しております。
このページでは仙田満氏(建築家 環境デザイン研究所)を特集します。
本ビデオはDVDとして制作されています。DVDご希望の方はDAAS事務局(info(アットマーク)daas.jp)までお問い合わせください(DVDのご利用内容によっては有償となる場合があります)。また研究等でインタビューのフルバージョンをご希望の方も事務局迄お問い合わせください。

インクルーシブな建築 – 新潟市民芸術文化会館と公共建築の過去〜未来-

はじめに  

第1章 これまで手がけた仕事 
03:01 海の変化で治療する精神病院
  不知火ストレスケアセンター  
#1989年 #福岡市大牟田 #入院患者のエピソード     

07:09 地域の環境を取り込んだ建築 新潟・山梨・珠洲の事例から
#1998年 #りゅーとぴあ新潟市民美術文化会館  #1995年 #山梨フルーツミュージアム
  #山梨県笛吹川公園内 #オブアラップ構造計算 #造船技術
  #2006年 #石川県珠洲市 #珠洲氏多目的ホール #笛のミュージアム #市民参加
  #ワークショップルーム #2年をかけてプログラム構成も手がける

第2章 次世代の建築家たちへの応援歌
25:38 若者たちにみた建築の未来 IHAギャラリー
#IHAギャラリー #綾子舞 #アーキペラゴシステム # 海の変化で治療する # テクノロジーはやさしくないといけない
# 生の声を聞くと思いがけないことがたくさん伝わってくる # 地域の歴史・伝統をインクルーシブしてつなげていきたい # 小さいところに公共性を見つけ、素直に建築化することで、街の隅々に公共空間ができていく # 東京工業大学篠原研究室にて(1968年頃) # 最優秀賞を受賞した湘南台文化センターの模型と(1986年)
# ピーター・クック氏と(’90年代中頃) # ザハ・ハディッド氏と王立英国建築家協会のコンペにて(1992年) # 設計した青野ビルの屋上にて(1982年頃) # 東京工業大学篠原研究室のお花見にて(1968年頃) # 喜寿のお祝いの会にて(2018年)
# 東京工業大学篠原研究室入学当時(1968年頃) # 能楽堂 # 富田玲子氏、長谷川逸子氏、永山祐子氏、成瀬友梨氏

長谷川逸子/Itsuko Hasegawa

建築家
長谷川逸子・建築計画工房 主宰/早稲田大学、東京工業大学、九州大学などの非常勤講師、米国ハーバード大学の客員教授/王立英国建築家協会(Royal Institute of British Architects)名誉会員/

【略歴 】
静岡県生まれ。
1964年 関東学院大学建築学科卒業
      菊竹清訓建築設計事務所勤務
1969年 東京工業大学篠原研究室研究生
1971年 東京工業大学建築科勤務
1979年 長谷川逸子・建築計画工房(株)設立、主宰
1986年 日本建築学会賞、日本文化デザイン賞を受賞。
1997年 王立英国建築協会(Royal Institute of British Architects)より名誉会員の称号。
2000年 第56回日本芸術院賞受賞。公共建築賞受賞。
2001年 ロンドン大学名誉学位。
2006年 アメリカ建築家協会(AIA)より名誉会員の称号。
2008年 フランスPont d’issy周辺の再編成コンペ1等賞獲得。
2018年 英国王立芸術院(Royal Academy of Arts)第一回ロイヤルアカデミー建築賞授与

【受賞】
1986年 日本建築学会賞作品賞(眉山ホール)
1986年 湘南台文化センター公開コンペ最優秀賞
1986年 日本文化デザイン賞(一連の住宅建築)
1989年 塩竃市北浜沢乙線整備関連都市景観形成計画概略設計書作成招待コンペ最優秀賞
1990年 エイボン芸術賞(藤沢市 湘南台文化センターのプログラム)
1990年 墨田区(仮称)文化学習センター指名コンペ最優秀賞
1991年 福岡県建築住宅文化賞大賞 (不知火ストレスケアセンターのプログラム)
1992年 BCS賞(藤沢市 湘南台文化センター)
1992年 病院建築賞(不知火ストレスケアセンター)
1993年 滋賀県立大学プロポーザルコンペ入賞
1993年 学校建築賞(氷見市仏生寺小学校
1993年 (仮称)新潟市民文化会館及び周辺整備計画公開コンペ最優秀賞
1994年 富山県建築賞(氷見市仏生寺小学校)
1994年 マレーシアハウジング国際指名コンペ入賞
1994年 長野市今井ニュータウンプロポーザルコンペ入賞
1995年 (仮称)広島県倉橋町まちづくり指名コンペ最優秀賞
1995年 塩竃市「ふれあいと遊びの施設概略設計」指名コンペ最優秀賞
1995年 中部建築賞(大島町絵本館)
1996年 太田市石原団地建替基本計画策定業務委託に係る技術提案最優秀賞
1997年 静岡県袋井市袋井北部まちづくり事業公共施設指名コンペ競技最優秀賞
1998年 第7回ブエノスアイレス国際建築ビエンナーレ 国際大賞
1998年 黒部市第2特別養護老人ホーム指名コンペ最優秀賞
1998年 全建賞(新潟市民芸術文化会館)
2000年 1999年度(第56回)日本芸術院賞
2000年 第12回ベオグラード・トリエンナーレ GOLD HONOURBLE MENTIONS(金賞)
2000年 第7回公共建築賞(大島町絵本館)
2001年 ロンドン大学名誉学位受賞
2001年 BCS賞(新潟市民芸術文化会館および白山公園)
2001年 The plaza International Design Competition, Taipei 最優秀賞
2002年 パチンコホールデザインコンペ 最優秀賞
2004年 新潟市都市景観賞(新潟市民芸術文化会館及び白山公園)
2004年 静岡県都市景観賞(月見の里学遊館)
2004年 第9回公共建築賞(新潟市民芸術文化会館)
2005年 男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣表彰
2007年 第18年度(第28回)石川建築賞 優秀賞(珠洲市多目的ホール)
2007年 JIA25年賞「松山 桑原の住宅」
2008年 BCS賞 珠洲市多目的ホール
2009年 上海儀電オフィスルームエリア再編成コンペ1等
2009年 フランスPont d’issy 周辺の再編成コンペ1等

【 代表作品】
1971年~ 一連の住宅建築
1979年 徳丸小児科
1980年 松山桑原の住宅
1982年 AONO ビル
1984年 眉山ホール
1985年 BY ハウス
1989年 世界デザイン博覧会インテリア館
1990年 湘南台文化センター
1990年 コナ・ビレッジ
1991年 氷見市仏生寺小学校
1994年 すみだ生涯学習センター
1994年 大島町絵本館
1995年 山梨フルーツミュージアム
1995年 滋賀県立大学体育館
1995年 氷見市海浜植物園
1996年 氷見市海峰小学校
1997年 ミウラアート・ヴィレッジ
1998年 茨城県営滑川アパート
1998年 横浜シーサイドピア
1998年 長野市営今井ニュータウン
1998年 新潟市民芸術文化会館と周辺ランドスケープ
1998年 倉橋町まちづくりセンター
1998年 塩竈市ふれあいと遊びの施設
1999年 関西国際空港株式会建設事務所
1999年 オペラ「魔笛」舞台美術/衣装デザイン(公演:新潟・長岡)
2000年 黒部市第2特別養護老人ホーム
2000年 東京都水道局境浄水場事務所
2001年 袋井市月見の里学遊館
2001年 小豆島の住宅2001オペラ「Curlew River」舞台美術/衣装デザイン(公演:長岡、イギリスOrford Curch)
2001年 Y・S HOUSE2002沼津中央高等学校
2002年 S・N HOUSE2002ホワイト・トラッシュ・チャームズ ジャパン 銀座店
2002年 ホライト・トラッシュ・チャームズ ジャパン 自由ケ丘店
2002年 ケイアイ医科オフィスビル2003ホワイト・トラッシュ・チャームズ ジャパン 六本木ヒルズ店
2003年 静岡大成中学・高等学校
2004年 T HOUSE2004Hiroo アパートメント
2005年 本陣団地+太田地区行政センター
2005年 徳丸小児科+住宅
2005年 松井邸
2006年 珠洲多目的ホール
2006年 静岡福祉大学校舎+クラブ活動室
2008年 テクノプラザおおた
2008年 T-FLAT


インタビュア 六反田千恵[長谷川逸子・建築計画工房]
撮影・編集 STUDIO DPP
ディレクション:三田大介/樋口珠由子[すみだクリエイターズクラブ]
作曲:榎田竜路/演奏:真荷舟
撮影協力:長谷川逸子・建築計画工房/新潟市民芸術文化会館
写真:大橋富夫、藤塚光政、山田脩二、gallery IHA、新建築社/DAAS
グラフィック・デザイン:秋山伸
制作著作:建築・空間デジタルアーカイブスコンソーシアム

DAAS interview vol.013 MITSURU SENDA 2017

DAASでは資料を次世代に残すという観点からオーラルヒストリーを映像化しております。
このページでは仙田満氏(建築家 環境デザイン研究所)を特集します。
本ビデオはDVDとして制作されています。DVDご希望の方はDAAS事務局(info(アットマーク)daas.jp)までお問い合わせください(DVDのご利用内容によっては有償となる場合があります)。また研究等でインタビューのフルバージョンをご希望の方も事務局迄お問い合わせください。


既にある物語を大切にするデザイン
-環境価値を高めることのできるより良い社会システムをめざして

はじめに

01:12 建築を志したきっかけ
#菊竹清訓 #国際教養大学 #こどもの国 #谷口吉郎
#環境デザイン #空間から環境へ #造園 #広場 #文脈

第1章 これまで手がけた仕事

05:09 国際教養大学 中嶋記念図書館
– 本に囲まれる楽しさ –

#2008年 #意欲の喚起 #ブックコロシアム
#遊環構造7つの条件 #多様 #視点 #秋田杉
#在来工法 #ハイブリッド構造 #木の美しさ #光

11:43 野中保育園
– 遊環構造の原型となった保育園 –

#1972年 #泥んこ保育 #塩川豊子氏 #アナーキーな空間
#クライアントとの協働

15:57 浜松科学館
– 浜松の自然と産業と歴史をつなぐ科学館 –

#1986年 #天竜川 #産業 #木工 #やらまいか精神の継承
#地元の企業の協力 #建築は巨大なエネルギーを使う機械
#配管を露出 #造園 #まちづくり #遊具
#展示装置のデザイン

20:02 広島市民球場
– 観客目線から考えらえた市民球場 –

#2009年 #お金がない #コンコース
#内部と外部の体験場所 #新幹線にむけて開いたデザイン
#多様な空間 #建築家はかっこつけちゃだめだ

第2章 次世代への継承

23:15 次世代への継承

#こどもの成育環境のデザイン
#日本 #被災率が高い #こどもたちが困難に打ち勝つ力
#遊びやスポーツや学習から身につけてほしい
#その環境を大人が用意すべきではないか
#建築がもっている役割 #信頼関係を得る
#建築家の創造力をいかにかきたてる
#よい環境をつくる社会システムの重要性
#変えていく運動を #建築家の努力 #失敗
#戦いの履歴 #失ったもの #獲得したもの
#蓄積 #言説 #若い人へ引き継ぐ #伝える


仙田 満 Mitsuru Senda

建築家
環境デザイン研究所会長/環境省、最高裁判所、日本学術会議等委員
/日本建築学会、日本建築家協会副会長、会長を歴任

【経歴】
1941年 神奈川県に生まれる
1964年 東京工業大学建築学科卒業
菊竹清訓建築設計事務所へ入所
1967年 環境デザイン研究所設立
1982年 東京工業大学工学博士 授与
2001年 日本建築学会会長 就任
2006年 日本建築家協会会長 就任


インタビュア:竺覚暁[DAAS運営委員長]
撮影・編集:STUDIO DPP
ディレクション:三田大介/樋口珠由子[すみだクリエイターズクラブ]
作曲:榎田竜路/演奏:真荷舟
撮影協力:環境デザイン研究所/公立大学法人国際教養大学
写真:環境デザイン研究所
グラフィック・デザイン:秋山伸/黒崎厚志[edition.nord]
制作著作:建築・空間デジタルアーカイブコンソーシアム

DAAS interview vol.012 TAKASHI IMAZATO

DAASでは資料を次世代に残すという観点からオーラルヒストリーを映像化しております。このページでは今里隆氏(建築家 杉山隆事務所)を特集します。
本ビデオはDVDとして制作されています。DVDご希望の方はDAAS事務局(info(アットマーク)daas.jp)までお問い合わせください(DVDのご利用内容によっては有償となる場合があります)。また研究等でインタビューのフルバージョンをご希望の方も事務局迄お問い合わせください。


日本建築の次世代への伝達
-吉田五十八から学んだ日本建築を現代の建築へ活かすことへの挑戦- 


 

はじめに

00:00  プロフィールなど

第1章 これまで手がけた仕事

03:50 池上本門寺 大客殿・御廟所:屋根とプロポーション
09:24 金田中:日本建築のデザインのコツ
12:32  住宅 O邸:材料と線を減らすことへの挑戦
17:40 (質問) -古い建築を見て感じたものが基本あるということについて
18:28 (質問) -日本建築の「伝統」を新しくしていく意識について
19:28 (質問) -屋根のディテールについて

第2章 建築家として大切にしていること

20:13   心地よい空間とは

第3章 これからの日本建築

27:50   日本建築を後世に伝える

 


今里隆 TAKASHI IMAZATO

建築家
杉山隆事務所所長、元東京藝術大学客員教授
日本建築学会会員 (公財)五井平和財団理事、(公財)国際茶道文化協会評議員

 

[略歴]

1928年     東京に生まれる
1949年     東京美術学校(現東京藝術大学)建築科卒業
1949~64年  吉田五十八(日本芸術院会員、東京藝術大学名誉教授)研究室勤務
1964年     杉山隆建築設計事務所(現杉山隆事務所)創設
1988年~91年 東京藝術大学客員教授

 

[主な作品]

1971年 平山郁夫邸
1977年 大平正芳邸
1977年 池坊本部ビル
1978年 金田中
1978年 池上本門寺 大客殿
1980年 池上本門寺 御廟所・本殿門
1984年 国技館(共同設計)
1988年 成川美術館
1991年 京都南座(改修)
1992年 竹茂楼
1997年 平山郁夫美術館
2000年 京都醍醐寺 霊宝館 伝法学院
2001年 日本美術院
2013年 歌舞伎座(監修)

[主な著書]

「次世代に活きる日本建築」(2015年 市ヶ谷出版社)
「屋根の日本建築(2014年 NHK出版)」
「建築用木材の知識」(1985年 鹿島出版会)
DVD「今里隆パーソナリティと作品」(2002年日刊建設通信新聞社企画)等


 

インタビュア:三塩達也(DAAS運営委員)
撮影・編集:STUDIO DPP
ディレクション:三田大介 樋口珠由子(すみだクリエイターズクラブ)
作曲:榎田竜路 演奏:真荷舟
撮影協力:杉山隆事務所 池上本門寺
写真:杉山隆事務所 株式会社新建築社
制作著作:建築・空間デジタルアーカイブスコンソーシアム

 

DAAS interview vol.010 SATORU KITAGO
2014年撮影 アーカイブでつなぐ文化・地域・未来

DAAS interview vol.009 HIROYASU FUJIOKA
2014年撮影 過去を読み解き未来を描く

DAAS interview vol.007 HIROYUKI SUZUKI
2012年撮影 アーカイブの役割

DAAS interview vol.011 TARO ASHIHARA

DAASでは資料を次世代に残すという観点からオーラルヒストリーを映像化しております。このページでは芦原太郎氏(建築家 芦原太郎建築事務所所長 DAAS理事長)を特集します。
本ビデオはDVDとして制作されています。DVDご希望の方はDAAS事務局(info(アットマーク)daas.jp)までお問い合わせください(DVDのご利用内容によっては有償となる場合があります)。また研究等でインタビューのフルバージョンをご希望の方も事務局迄お問い合わせください。


 

「未来へつなげる建築と文化」
− 父・芦原義信の残した資料と仕事を通して 個から公へのアーカイブの重要性を語る

 

第1章 父の資料、受け継ぐ仕事

00:02:24 残された父の資料 ーどう整理し活かすかー
00:04:36 THE GINZA から FUKUHARA GINZA へ
00:07:04 駒沢オリンピック公園総合運動場
00:08:57 海外で学んだこと 日本で考えたもの
00:10:59 武蔵野美術大学に託した父義信氏の資料
00:12:45 キャンパス計画 建築学科創設(武蔵野美術大学)
00:14:53 オープンアーカイブのあり方
00:16:55 先人達の思いを広める

 

第2章 これからのデジタルアーカイブス

00:20:19 DAASの役目 デジタルアーカイブの可能性
00:22:52 次世代へつなぐ取り組みであるために
00:24:15 思いの共有と他機関との連携

 


 

芦原太郎  TARO ASHIHARA

1950年    東京に生まれる
1974年    東京芸術大学美術学部建築科卒業
1976年    東京大学大学院建築学修士課程修了
1977年〜85年 父・芦原義信の芦原建築設計研究所に勤務
1985年    芦原太郎建築事務所設立
2001年〜   芦原建築設計研究所代表を兼務
2010年    社団法人日本建築家協会会長

 

芦原義信     YOSHINOBU ASHIHARA

東京生まれ。東京大学建築学科卒業、ハーバード大学大学院修了。
ロックフェラー財団の奨学金を得て世界の都市を巡る。
1956年 芦原建築設計研究所創立。デビュー作の「中央公論ビル」で日本建築学会賞を受賞。
代表作「ソニービル」「第一勧業銀行本店」「国立歴史民俗博物館」「東京芸術劇場」など。

東京大学教授、法政大学教授、武蔵野美術大学教授などを歴任、日本建築学会会長・日本建築家協会会長も務めた。
芦原建築設計研究所所長、東京大学名誉教授、武蔵野美術大学名誉教授、日本芸術院会員、文化勲章、勲二等瑞宝章
著書「外部空間の構成」他多数。


 

インタビュア:三塩達也(DAAS運営委員長)
撮影・編集:STUDIO DPP
ディレクション:三田大介 樋口珠由子(すみだクリエイターズクラブ)
作曲 :榎田竜路 演奏:真荷舟
撮影協力:芦原太郎建築事務所・芦原建築設計研究所
武蔵野美術大学 美術館・図書館
武蔵野美術大学 造形研究センター
制作著作 :建築・空間デジタルアーカイブスコンソーシアム

 

 

DAASでは資料を次世代に残すという観点からオーラルヒストリーを映像化しております。
このページでは渡邊英徳氏(首都大学東京ステムデザイン学部准教授)を特集します。
本ビデオはDVDとして制作されています。DVDご希望の方はDAAS事務局(info@daas.jp)までお問い合わせください(DVDのご利用内容によっては有償となる場合があります)。また研究等でインタビューのフルバージョンをご希望の方も事務局迄お問い合わせください。

【動作環境について】
なおこのページはFirefox、Safari、Chrome(いずれも最新版)にて動作確認をしております。画面上にカーソルを合わせますと再生バーが表示されます。三角ボタンを押していただくと再生がスタートします。
なお、本ページでの動画再生につきましてはサポートの対象外とさせていただきます。再生に関する不具合・お問い合わせ等は承りかねますので、あらかじめご了承ください。ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。

ask a lawyer

UIA2011 TOKYO 「 デジタルアーカイブの可能性 : Future of Digital Archive 」

3.11以降の日本の景観*都市*建築のあり方を若手建築家、研究者が提言する」
( Proposals by Young Architects and Research Specialists Towards Land Scape, Urbanism and Architecture, After 311, in Japan )

Session6 倉方俊輔 × 本江正茂

配 信 : mosaki 大西正紀 / 田中元子
主 催 : 建築・空間デジタルアーカイブスコンソーシアム
協 力 : 宮城大学中田研究室 / 首都大学渡邊研究室 / アーキエイド 他
司 会 : 坂本和子


2011年9月28日 UIA2011東京大会 関連イベントとして東京国際フォーラム ガラスホール棟ロビーギャラリーにてトークセッションが行われました。アーカイブについて、DAASの資料について、リレー形式でセッションを行いました。聞き手が次の話し手となり聞き手は資料の魅力や価値の所在を話し手から引きだし次世代に残すべき議論として記録していきます。

Session6———————-
話 し 手 : 倉方俊輔(建築史家, 大阪市立大学准教授)
聞 き 手 : 本江正茂(東北大学准教授, せんだいスクール・オブ・デザイン)
レポート : 田中元子(mosaki)
————————————

 倉方氏は、雑誌「日経アーキテクチュア」にて連載中に「ドコノモン100選」
で巡ってきた建物の紹介を中心にプレゼンを展開。この連載では、だれものものどこのモノかわからない、けど魅力的な建物に注目する。有名なものだけではなく、そのようなものに踏み込んでみると、そこには新しい発見があるという。「海中展望塔:足摺海底館」や「ニュー新橋ビル」を題材に、その背景に潜む美的、都市的、歴史的エピソードを様々な角度から説明していった。これまで「地」におとしめられていた無名の建物たちに、実は見るべき「図」がありますよ、とピックアップする。倉方氏が意識的に行うことは、前セッションの大山氏の取り組み方と、然程変わりがないという。そして、例え対象が有名建築家の設計による建物であっても、それを庶民のレベル、きれいごとではないところから見ていきたいという。

 それに本江氏は、倉方氏が専門的な眼差しを持ちつつピックアップし、そこから物語によってつなげ、間をつくろうとしていることが重要なポイントだという。まさにその間をつくること、物語をつくることが冒頭で述べ忘れたもうひとつのDAASに足りないものと指摘した。アーカイブはそのままでは取りつく島がない。それぞれのアーカイブを使っていく有益なものにするためには、物語、つまり魅力的な話を付けていく人が必要だと。

 数年前から大学の教職に就いた倉方氏は、それが広義の歴史家としての仕事かもしれないとも言う。歴史家だけが担保するものではないが、一般の人がその物語を紡ぎ考え、そこから変換しさらに物語が膨らむようにしむけることができる。そういう意味でも歴史家のアーカイブに対する役割も大きくなる。

 最後は、評価における言葉の話題となった。いつの時代も過去のものを再評価したときに、やっと言葉が追いついてくると倉方氏。本江氏は、そういう意味では今々のアーカイブには物語がないことは、やむをえない。“いずれ言葉がついてくる。今はわからないから後の人頼むよ!”という面もあるのだろうとまとめた。

ー最後に全体のまとめとして、会場に最後まで残っていらした登壇者の感想を頂いたー

ー倉方氏ー
今回の試みは6回対話が繰り返されていく中で、そこで生まれた語りが、さらに語られることが面白かった。語ることの差が新しく語りを生む。その核となるものが資料や写真といったアーカイブということだ。

ー本江氏ー
真珠をつくるときに最初に入れる核のように、アーカイブにおいては正統性と持つDAASが核となる。そのためにDAASは、コアとなり周りにさまざまなものを付けていけるインターフェイスとサービスを持たなくては行けない。そこへ専門家もさまざまなコンテンツを加えていき、それらがB級呼ばわりされることなく開かれていくのがいいだろう。アーカイブというものは求心的な営みだと思われがちであるが、むしろそれが外へつながる力が必要。そのためにもモザイクのガイドライン等をはじめとしたデジタルの形を整えたインターフェイスをつくる。これからのアーカイブを考えていく人たちは、外向けの力をつくることを意識し、僕らはそのアーカイブに忘れてしまいがちな記憶をあずけていく。そういうシステムをみんなでつくっていければいいと改めて思った。

ー渡邊氏ー
誰でもデジタルアーカイブをつくれる時代になった。これまでは拠り所がなく、他人のアーカイブに依って立っていた時期から、自分自身のアーカイブから言葉を紡げる、良い時代になった。例えば、iPhoneで自分の写真をめくっていると自分の歴史を辿ることができる。これは言い換えると、人類の人数分のアーカイブが存在するということ。さらにこれらのアーカイブにGPS情報がついているから、その土地土地でアーカイブをスライスすることができる。そこにストーリーが見えるとより人類は幸せになるのではないか。

ー大山氏ー
アーカイブが何なのか。さまざまな意見を聞いて僕が一番思ったのは、アーカイブそのものには語りが入らないということ。しかし、僕らがアーカイブをテーマに語ったことは語りであった。アーカイブは、僕らを誘うものとして存在してほしい。

UIA2011 TOKYO 「 デジタルアーカイブの可能性 : Future of Digital Archive 」

3.11以降の日本の景観*都市*建築のあり方を若手建築家、研究者が提言する」
( Proposals by Young Architects and Research Specialists Towards Land Scape, Urbanism and Architecture, After 311, in Japan )

Session5 大山顕 × 倉方俊輔

配 信 : mosaki 大西正紀 / 田中元子
主 催 : 建築・空間デジタルアーカイブスコンソーシアム
協 力 : 宮城大学中田研究室 / 首都大学渡邊研究室 / アーキエイド 他
司 会 : 坂本和子


2011年9月28日 UIA2011東京大会 関連イベントとして東京国際フォーラム ガラスホール棟ロビーギャラリーにてトークセッションが行われました。アーカイブについて、DAASの資料について、リレー形式でセッションを行いました。聞き手が次の話し手となり聞き手は資料の魅力や価値の所在を話し手から引きだし次世代に残すべき議論として記録していきます。

Session5——————————-
話 し 手 : 大山顕(団地・工場・ジャンクション愛好家, ライター)
聞 き 手 : 倉方俊輔(建築史家, 大阪市立大学准教授)
レポート : 田中元子(mosaki)
———————————————-

 大山氏は、今回のメンバーで唯一アカデミックではない「マニア」としての立場からのゲスト。

 元々、会社員だった大山氏は、団地を愛でるという視点で全国の団地の写真を撮り続け、ネットを中心に公開しはじめたことをきっかけに注目を集めている。同時に出版物の制作やイベント、写真展の開催、TVへの出演等を行っている。プレゼンテーションはまず、マニアとしての「団地の見方」についてウィットに富んだ解説からはじまった。基本としては、目の前にある団地の背景(歴史や生活)等は一切排除し、そこにある形だけを愛でることが重要と説明。さらに全国を飛び回りとり続けている工場や高架下、ジャンクションの紹介が続いた。

 そこで大山氏はアーカイブについて問いかける。自分のようなマニアが写真を撮りウェブ上にアップしている現代において、その写真とDAASの写真との差は何なのか。マニアの写真はアーカイブになり得ないのか。それに対し、倉方氏は新建築社が撮ってきたような写真と一般の人々がブログにアップしているような写真との差は明らかに大きいが、大山氏のようなマニアが撮る写真というものは、モノを見る目が備わっているので、限りなく近い部分はあるだろうと応える。さらに大山氏は、いつの間にか「アーカイブの作法」といったものができあがってしまっているように感じるという。アーカイブとしてきちんと整える。その見えない作法が影響してか、例えばDAASのアーカイブを見たことをきっかけに現地へ行ってみようとは思うことはほとんどない。しかし、マニアやオタクがつくるレポートは、そこへ行ってみたいと思わせる。その差は何なのだろうか。

 終盤では東日本大震災をきっかけとした帰宅難民のルートログの制作、そして、日本橋の話題へと展開。日本橋と首都高については、首都高を埋める方向で話しが進んでいるが、先日手にした「首都高二十年史」を見ると、日本橋の写真があり、当時つくっていた人たちが、これからの日本の成長を憂い、その橋に込めた強い想いが読み取れる。そして震災後も残る首都高と日本橋を想うと、この姿がいかに奇跡的な風景であることかも改めて気づいた。このように過去のアーカイブ写真には、マニアが振り返ると新しい発見をすることができる。しかし、例えばDAASには首都高の写真はないと指摘。

 倉方氏は、DAASのアーカイブは「図」であり「地」が視界に入っていない。大山氏のようなマニアの取り上げる「地」的なものは、当時のジャーナリズムが取り上げるものではなかったと分析。さらにアーカイブは写真をデジタル化するものだと誤解されている。本来アーカイブとは未来の人々が宝と想うかも知れないものを「図」も「地」もそのままの状態をストックすべき。だからこそ、専門家だけではなく、限りなく作為をなくした形で、大山氏のようなマニアが無心で「図」も「地」も横断することに意義があると加えた。

 最後に大山氏は、今は誰もがカメラを持てる時代になった。けど、プライバシー保護の問題などで、公共の場では撮ることが難しくなりはじめ、マニアにとってもアーカイブにとっても厳しい状況にある。それでもこの状況を写真の量で圧倒するくらい、僕らは次々とウェブ上に写真をあげていくべき。願わくば、それらをもうひとつのアーカイブ、今の時代のアーカイブとしてDAASに扱ってもらうことができればうれしい、と語った。

TOP