Session5 大山顕 × 倉方俊輔
配 信 : mosaki 大西正紀 / 田中元子
主 催 : 建築・空間デジタルアーカイブスコンソーシアム
協 力 : 宮城大学中田研究室 / 首都大学渡邊研究室 / アーキエイド 他
司 会 : 坂本和子
2011年9月28日 UIA2011東京大会 関連イベントとして東京国際フォーラム ガラスホール棟ロビーギャラリーにてトークセッションが行われました。アーカイブについて、DAASの資料について、リレー形式でセッションを行いました。聞き手が次の話し手となり聞き手は資料の魅力や価値の所在を話し手から引きだし次世代に残すべき議論として記録していきます。
Session5——————————-
話 し 手 : 大山顕(団地・工場・ジャンクション愛好家, ライター)
聞 き 手 : 倉方俊輔(建築史家, 大阪市立大学准教授)
レポート : 田中元子(mosaki)
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大山氏は、今回のメンバーで唯一アカデミックではない「マニア」としての立場からのゲスト。
元々、会社員だった大山氏は、団地を愛でるという視点で全国の団地の写真を撮り続け、ネットを中心に公開しはじめたことをきっかけに注目を集めている。同時に出版物の制作やイベント、写真展の開催、TVへの出演等を行っている。プレゼンテーションはまず、マニアとしての「団地の見方」についてウィットに富んだ解説からはじまった。基本としては、目の前にある団地の背景(歴史や生活)等は一切排除し、そこにある形だけを愛でることが重要と説明。さらに全国を飛び回りとり続けている工場や高架下、ジャンクションの紹介が続いた。
そこで大山氏はアーカイブについて問いかける。自分のようなマニアが写真を撮りウェブ上にアップしている現代において、その写真とDAASの写真との差は何なのか。マニアの写真はアーカイブになり得ないのか。それに対し、倉方氏は新建築社が撮ってきたような写真と一般の人々がブログにアップしているような写真との差は明らかに大きいが、大山氏のようなマニアが撮る写真というものは、モノを見る目が備わっているので、限りなく近い部分はあるだろうと応える。さらに大山氏は、いつの間にか「アーカイブの作法」といったものができあがってしまっているように感じるという。アーカイブとしてきちんと整える。その見えない作法が影響してか、例えばDAASのアーカイブを見たことをきっかけに現地へ行ってみようとは思うことはほとんどない。しかし、マニアやオタクがつくるレポートは、そこへ行ってみたいと思わせる。その差は何なのだろうか。
終盤では東日本大震災をきっかけとした帰宅難民のルートログの制作、そして、日本橋の話題へと展開。日本橋と首都高については、首都高を埋める方向で話しが進んでいるが、先日手にした「首都高二十年史」を見ると、日本橋の写真があり、当時つくっていた人たちが、これからの日本の成長を憂い、その橋に込めた強い想いが読み取れる。そして震災後も残る首都高と日本橋を想うと、この姿がいかに奇跡的な風景であることかも改めて気づいた。このように過去のアーカイブ写真には、マニアが振り返ると新しい発見をすることができる。しかし、例えばDAASには首都高の写真はないと指摘。
倉方氏は、DAASのアーカイブは「図」であり「地」が視界に入っていない。大山氏のようなマニアの取り上げる「地」的なものは、当時のジャーナリズムが取り上げるものではなかったと分析。さらにアーカイブは写真をデジタル化するものだと誤解されている。本来アーカイブとは未来の人々が宝と想うかも知れないものを「図」も「地」もそのままの状態をストックすべき。だからこそ、専門家だけではなく、限りなく作為をなくした形で、大山氏のようなマニアが無心で「図」も「地」も横断することに意義があると加えた。
最後に大山氏は、今は誰もがカメラを持てる時代になった。けど、プライバシー保護の問題などで、公共の場では撮ることが難しくなりはじめ、マニアにとってもアーカイブにとっても厳しい状況にある。それでもこの状況を写真の量で圧倒するくらい、僕らは次々とウェブ上に写真をあげていくべき。願わくば、それらをもうひとつのアーカイブ、今の時代のアーカイブとしてDAASに扱ってもらうことができればうれしい、と語った。